東京地方裁判所 平成7年(ワ)11843号 判決 1996年10月31日
原告
折舘尚子
被告
倉片洋・東京都
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告らは原告に対し、連帯して金五〇〇〇万円及びこれに対する平成六年三月三一日から支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、歩道を走行中の自転車が転倒し、その運転者が普通乗用自動車に衝突されて死亡したことにつき、その相続人が、普通乗用自動車の運転者に対して自賠法三条、民法七〇九条により、道路管理者に対して国家賠償法二条により、損害賠償を求めた事案である。
二 争いのない事実
1 本件交通事故の発生
(一) 事故の日時 平成六年三月三〇日午後五時二五分ころ
(二) 事故の場所 東京都多摩市連光寺六丁目一九番地付近路上
(三) 加害車両 被告倉片洋(以下「被告倉片」という。)が運転する普通乗用自動車(川崎五六る七九七二。以下「倉片車」という。)
(四) 被害者 訴外折舘明子(以下「亡明子」という。)
(五) 事故の態様 亡明子が、自転車を運転して、都道一三八号線(なお、平成六年四月一日、路線番号が都道一三七号線に変更された。以下「本件道路」という。)の東側の歩道(以下「本件歩道」という。)を鶴川街道方面から川崎街道方面に向かつて走行中、本件事故現場付近において転倒したところ、折から本件道路を川崎街道方面から鶴川街道方面に対向してきた倉片車に衝突され、同日午後六時四六分ころ死亡した。
2 被告東京都は、本件歩道を含む本件道路の管理者である。
3 原告は、亡明子の母である。
三 争点
1 被告らの責任
(一) 原告の主張
(1) 被告倉片の責任
被告倉片は、約二六・九メートル手前の地点で本件歩道を走行中の亡明子を発見しているところ、本件歩道は特に幅が狭い上に、亡明子にとつては上り坂となつていたのであるから、亡明子が車道にはみ出すかもしれないことを予想して減速するとか、なるべく右側に寄つて走行するなどして、前方を十分に注視しながら運転する義務があつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。また、本件事故現場は、その速度が時速三〇キロメートルに規制されていたところ、倉片車からすると下り坂になつており、スピードが出やすい状況にあつたから、被告倉片は、速度に十分注意して安全に運転する義務があつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。被告倉片は、七・二メートル手前の地点で亡明子が転倒するのを発見したのであるから、直ちに急制動を掛ける等の措置を採るべきであつたにもかかわらず、制動措置を採るのが遅れた過失がある。以上のとおり、被告倉片は民法七〇九条に基づく責任を負う。また、被告倉片は、自賠法三条に基づく責任を負う。
(2) 被告東京都の責任
本件歩道には、車道から隣接私有地への導入路を作るための切り下げ部分があつたが、右切り下げ部分のうち、一方の斜面部分の最頂部は通常の歩道よりも五センチメートル盛り上がつており、右は瑕疵に当たるものというべきである。そして、本件事故が発生したのは、右瑕疵のため、歩道への斜面部分の勾配がきつくなつた結果、亡明子の走行する自転車のスピードが落ちて同人が転倒したことによるのであるから、被告東京都は、国家賠償法二条に基づく責任を負う。
(二) 被告らの反論
(1) 被告倉片の反論
被告倉片が、亡明子の車道内への突然の転倒を予見することは不可能であり、また、自車の前方七・二メートルのところで突然転倒した亡明子との衝突を回避することは不可能であつたから、被告倉片には過失はない。本件事故は、幅員が七〇センチメートルと狭く、車道との段差も二〇センチメートル余りあり、歩道東側には有刺鉄線も張り巡らされているという歩道上を自転車で走行するという亡明子の無謀な行為によつて惹起されたものである。
倉片車には、構造上の欠陥、機能上の障害はなかつた。
(2) 被告東京都の反論
歩道は、歩行者の通行の用に供するために設置されたものであること、本件事故現場付近にはほとんど民家がなく、人の通行が稀であること。本件事故現場付近の歩道には、隣接私有地への導入路のための切り下げ部分があり、そのセメントコンクリート舗装の部分において、経年変化による若干の盛り上がり部分があつたが、その盛り上がりの程度からして歩行者が通行する上での安全性に何ら欠けるところはなかつたことからして、本件道路の右歩道部分は歩行者の通行につき通常有すべき安全性を具備していた。したがつて、被告東京都に歩道管理上の過失はなかつた。
また、自転車は道路交通法上の軽車両であり、特に許された場合を除いて車道を通行すべきものであり、車道を通行する場合には道路の左側端に寄つて通行しなければならないにもかかわらず、亡明子は、本来自転車の通行の禁じられている歩道を通行し、しかも、その通行していた歩道は、車道の左側端の反対側の歩道であつた。さらに、本件歩道は幅員七五センチメートルと狭溢であり、歩道東側私有地との境には有刺鉄線が張り巡らされていたのであるから、このような状況からすれば、歩道上を自転車で走行すれば、自転車のハンドルの半分くらいが車道にはみ出す可能性があり、歩道上を自転車で通行すること自体極めて困難なことであつた。したがつて、亡明子の本件歩道を自転車で走行した行為は、本件道路の設置及び管理者である被告東京都の予測しえない無謀な行為であり、このように、営造物の設置及び管理者において通常予測することのできない行為によつて事故が生じた場合には、右事故は営造物の設置又は管理の瑕疵によるものということはできない。
以上からすれば、被告東京都には責任がない。
2 過失相殺
(一) 被告らの主張
仮に被告倉片に過失があつたとしても、本件事故は、前記1(二)(1)のとおり、亡明子の無謀な運転と一方的な過失によつて引き起こされたものであり、またそもそも亡明子が自転車で歩道を走行したことは、道路交通法にも違反する行為であつたから、本件事故について、亡明子に八割以上の過失がある。
(二) 原告の反論
亡明子に過失があつたことは認めるが、その割合としては、一割が相当である。
3 損害額
(一) 原告の主張
(1) 葬儀費用 三五万二二〇〇円
(2) 文書料 三六九〇円
(3) 死亡逸失利益 六九五八万九五四八円
4,224,256×(1-0.3)23.534=69,589,548
(4) 死亡慰謝料 二〇〇〇万円
(5) 近親者慰謝料 五〇〇万円
(6) 弁護士費用 三七九万円
(7) 合計 九八七三万五四三八円
(8) 過失相殺(一割)減額後の金額 八八八六万一八九五円
(9) 既払額 一六九七万七五四八円
(10) 損害額 七一八八万四三四七円
右損害額のうち、内金として金五〇〇〇万円を請求する。
(二) 被告らの主張
(1) 被告ら
原告の主張を争う。
(2) 被告倉片
被告倉片は、自賠責保険により一六九七万七五四八円、自ら三九九万四九三〇円を弁済した。したがつて、原告の主張に係る損害額に過失相殺(八割)による減額をし、右弁済金を控除すると、損害は生じていない。
第三争点に対する判断
一 本件事故の態様について
1 本件道路の状況
前記争いのない事実、甲一、三ないし七(枝番を含む)、丙一、証人堀井圭介の証言、被告倉片本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 本件道路は、車道の幅員が六メートルで、黄色の実線で中央線が表示された、片側一車線の舗装道路であつて、川崎街道方面から鶴川街道方面に向かつて、本件事故現場に至る手前で左に緩やかにカーブしており、そのカーブが終わると約一〇〇メートル程度のやや下り坂の直線となり、右直線部分の見通しは良好である。また、本件道路は、交通が頻繁であり、駐車禁止、追い越しのためのはみ出し禁止の規制がされ、その最高速度は時速三〇キロメートルに制限され、本件事故当時、路面は乾燥していた。
(二) 本件歩道は、本件道路の東側に幅約七五センチメートルで、車道面から二〇センチメートルの高さで設けられたもので、車道側に幅二〇センチメートルのL字型ブロツクが、隣接土地側に幅一五センチメートルの長方形ブロツクがそれぞれ配置され、その間を幅四〇センチメートルのセメントコンクリートで平坦にするように舗装されている。
(三) 本件歩道の事故現場付近は、本件歩道の東側には、五本の有刺鉄線が張りわたされた、高さ一・六メートルの杭が立ち並び、その東側には私有地があるが、車道から右私有地に入るための導入路が設けられている。右導入路は、鶴川街道方面から川崎街道方面に、順に、<1>高さ約二〇センチメートル、斜面の長さ六〇センチメートルの下り斜面部分、<2>三・一メートルの平坦な歩道部分、<3>高さ約二五センチメートル、斜面の長さ六〇センチメートルの上り斜面部分により構成されていた。なお、上り斜面の最頂部は、歩道の他の部分より約五センチメートル高くなつていた(車道からの高さ二五センチメートル)ため、下り斜面よりも勾配は急であつた。
2 本件事故の状況
前掲の争いのない事実及び証拠によれば、次の事実が認められる。
(一) 被告倉片は、平成六年三月三〇日午後五時二五分ころ、倉片車を運転して、本件道路を川崎街道方面から鶴川街道方面に向かつて、走行していた。倉片車の車長は四・四二メートル、その車幅は一・六九メートルであつた。被告倉片は、本件事故現場手前の左カーブを曲がりきつた後、時速三五キロメートル程度の速さで本件事故現場に至る直線道路にさしかかつた。右当時、倉片車の後方には、一、二台の車が走行し、その後方を訴外堀井圭介の運転するスクーターが走行していたが、反対車線を走行する車両はなかつた。
(二) 被告倉片は、別紙現場見取り図の<1>の地点まで進行したとき、自車の左横の本件歩道を、鶴川街道方面から川崎街道方面に対向してくる亡明子の運転する自転車を、二六・九メートル前方の地点である同図面の<ア>の地点において初めて発見した。その際、亡明子の運転する自転車は、ややハンドルがぶれる状態でゆつくり進行していた。亡明子の走行状態は、ややハンドルがぶれていたほかは、特に変わつた様子はなかつた。被告倉片は、本件歩道の幅が狭い上、その東側には有刺鉄線が張られていることから、亡明子が本件歩道を安定して走行しにくいのではないかと思い、同人が歩道の切り下げ部分から車道に降り、自車の左側を走行するかもしれないと考え、右<1>の地点を通過した直後、倉片車をややセンターライン寄りに寄せたが、減速徐行はしなかつた。
(三) 倉片車が同図面の<2>の地点まで進行したとき、自転車を運転していた亡明子は、その前方七・五メートルの、同図面の<イ>の地点において、歩道の下り斜面を下つた後、その前輪が上りの斜面部分にかかつたところでバランスを崩し、ぐらつきながら被告倉片の走行する車線に転倒した。右自転車は、被告倉片の進行方向左側の車道上に、亡明子はさらにセンターライン寄りにそれぞれ倒れた。
(四) 被告倉片は、ハンドルを右に切ると同時にブレーキを掛けて衝突を避けようとしたが、倉片車が同図面の<3>の地点まで進んだところで、同図面の<×>の地点で亡明子と衝突し、同図面の<ウ>の地点に倒れていた亡明子の頭上を、倉片車の左前輪が通過した。倉片車は、亡明子の運転していた自転車には接触しないまま、同図面の<4>の地点で停止した。右<×>の地点から東側歩道までの距離は、一・三メートルであり、右<2>の地点から、<4>の地点までの距離は、一五・三メートルであつた。現場にはスリツプ痕は残されていなかつた。
二 被告倉片の責任について
右各事実に基づいて、被告倉片の過失の有無について判断する。
まず、被告倉片が最初に亡明子を発見したとき、同人は前方二六・九メートルの地点において、ややハンドルがぶれたというだけで、特に転倒の危険を予測させるような様子はなかつたのであるから、このような場合に、倉片車を運転する被告倉片には、亡明子がバランスを崩し、自車線上に突然転倒したりすることを予想して、あらかじめ徐行する義務があつたということはできない。したがつて、被告倉片が本件歩道の前記のような状況から亡明子が自車線を走行することを想定して、同人が自車の左側を走行できるよう、センターライン寄りに自車を寄せて時速三五キロメートルで走行を継続し、右の点を除いては、あらかじめ何ら回避措置を講じなかつた点に過失はないものということができる。この点、本件道路が片側一車線であつて、その車道の幅員が六メートルであり、倉片車と亡明子の衝突地点が歩道から一・三メートルの地点であつて、倉片車の車幅が一・六九メートルであることからすれば、被告倉片は、可能な限り右側に自車を寄せて走行していたものということができるところ、本件道路が交通頻繁であつて、追い越しのためのはみ出し禁止の規制がされていることからすれば、被告倉片が亡明子との衝突を避けるため反対車線にはみ出さなかつたことをもつて、あらかじめ適宜の措置を講じなかつた過失と解することはできない。
また、被告倉片は制限速度を五キロメートル上廻る速度で走行していたものであるが、右の制限速度違反の点を過失と考えることもできない(なお、前記のとおり、被告倉片には徐行義務はないというべきところ、仮に、同被告が時速三〇キロメートルで走行していたとしても、亡明子の転倒を発見した地点で、自車に制動を掛けて停止することにより亡明子との衝突を避けることは不可能であつたから、右制限速度違反行為と本件事故との間には因果関係がないというべきである。)。以上のとおり、本件事故について、被告倉片に過失を認めることはできない。
また、倉片車には構造上の欠陥ないし機能上の障害があつたとは認められない。したがつて、被告倉片には、民法七〇九条に基づく責任及び自賠法三条に基づく責任はなく、原告の被告倉片に対する請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。
三 被告東京都の責任について
前記各事実に基づいて、被告東京都の責任の有無について判断する。
前記のとおり、本件歩道の切り下げ部分は、川崎街道から、鶴川街道に向かう上り斜線部分の最頂部が、歩道の他の部分よりも五センチメートル高く、そのため勾配が急に(斜面の長さ六〇センチメートルに対して高さ二五センチメートル)なつていたのであるが、右程度の盛り上がりによる傾斜は、歩道を通常使用するに当たつて何らの支障となるものではなく、安全に欠けるところはないので、これを瑕疵ということはできない。
この点につき、原告は、自転車を運行する際に危険が伴うので、右の盛り上がりは瑕疵に当たる旨主張する。しかし、原告の主張は次のとおり理由がない。すなわち、自転車の走行の安全性という観点から本件歩道を検討すると、切り下げ部分が存在することは一見して明らかであり、その勾配も前記のとおり、それほど急とはいえない程度のものであるから、自転車で走行する者が、あらかじめ、慎重に、速度を調節することにより、安全に進行することができ、また、仮に、上り斜面部分を通過するのが困難であれば、いつたん停止して自力で自転車を持ち上げるなどして歩道上に戻るなどの措置を採ることも可能であるので、本件歩道の右切り下げ部分は、自転車の走行についても、その安全性を欠くものであつたということはできない(なお、本件歩道が道路標識等により自転車の通行を認められたものであるとの証拠はない以上、本件歩道は、自転車の通行の用に供されることが許容されるものではない(道路交通法一七条一項、六三条の四第一項)ので、亡明子が本件歩道を自転車で走行した行為は、そもそも通常の行為ということができない)。
以上のとおり、右歩道は、その通常有すべき安全性を欠いているものということはできず、被告東京都の本件道路の設置及び管理に瑕疵があつたということはできないから、原告の被告東京都に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
第四結論
以上によれば、原告の被告らに対する請求は、いずれも理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 飯村敏明 竹内純一 波多江久美子)
現場見取図